妻を亡くしたことは、私の人生を大きく変えた出来事でした。
今、私は退職後のお金や暮らしについて考えています。
でも、その根底にあるのは「できるだけ多くのお金を残したい」という思いではありません。
健康で動ける時間を、どう使いたいのか。
家族や自分のために、残りの人生をどう過ごしたいのか。
そう考えるようになった大きなきっかけが、妻との別れでした。
妻は40歳でした。当時、子どもたちはまだ学生でした。
私は仕事中心の生活を送り、家事はほとんど妻に任せていました。料理もまったくできませんでした。
そんな生活が、妻の病気をきっかけに突然変わりました。
「肺がんだって」
始まりは、風邪のような症状でした。
1週間経っても治らず、声も枯れていました。そのうち声が出なくなり、私は妻に、一度しっかり診てもらった方がいいと勧めました。
4月のある日、仕事の歓送迎会が始まる直前に、妻から泣きながら電話がかかってきました。
「肺がんだって」
私は歓送迎会には参加せず、慌てて家へ帰りました。
その後、妻と一緒に病院へ行くと、肺がんのステージ4で、余命は1年ほどだと告げられました。
目の前が真っ暗になりました。
妻には余命を言えなかった
私は、妻に余命を伝えることができませんでした。
代わりに、こう言いました。
「今の医療をなめるな。必ず治る」
「治ったら行きたいところを考えておいて」
根拠があったわけではありません。
ただ、妻に希望を失ってほしくありませんでした。私自身も、妻が亡くなることを受け入れられなかったのだと思います。
仕事、家事、病院通い
妻が入院してからは、毎日病院へ通いました。
仕事を早く上がらせてもらったり、出勤前に病院へ行かせてもらったりしました。
会社帰りには買い物をして、食事や弁当を作り、掃除や洗濯もしました。
料理の経験は皆無でしたが、子どもたちの生活を止めるわけにはいきません。
自分で家事をするようになって、初めて妻が毎日してくれていたことの大きさに気づきました。
家庭は自然に回っていたのではなく、妻が回してくれていたのです。
家族で行った最後のUSJ
妻はハリー・ポッターが好きで、元気な頃は家族でよくUSJへ行きました。
一時退院できたとき、もう一度家族でUSJへ行きました。
妻は一人で歩くことが難しく、家族みんなの肩に支えられながら歩いていました。
無理をさせてしまったのかもしれません。
それでも、妻が好きだった場所へ、家族で行けたことは大切な思い出になっています。
半年後の別れ
余命1年と言われましたが、妻はその半年後の10月に亡くなりました。
4月に肺がんだと分かり、10月には妻がいなくなりました。
あまりにも短い時間でした。
もっと治療が効くと思っていました。
もっと一緒にいられると思っていました。
心の準備など、できるはずもありませんでした。
子どもたちとの生活
妻が亡くなった後も、生活は続きました。
私は仕事をしながら食事を作り、弁当を用意し、掃除や洗濯を続けました。
子どもたちの記憶が、母親を亡くした悲しみだけになってほしくありませんでした。
そのため、長期休みには必ず旅行へ連れて行きました。
妻の代わりになることはできません。
それでも、子どもたちに楽しい思い出を残したいと思い、できる限り一緒に過ごしました。
息子の結婚式
その後、息子が結婚しました。
結婚式では、私は号泣してしまいました。
中学生だった息子が大人になり、家庭を持つところまで成長した。
その姿を見た喜びと同時に、
「妻にも、この姿を見せたかった」
という思いが込み上げてきました。
喜び、安堵、寂しさ。
いろいろな感情が重なった涙でした。
前を向くことは、忘れることではない
妻を亡くして、人生には限りがあることを強く意識するようになりました。
家族と過ごせる時間も、健康でいられる時間も、当たり前ではありません。
私は50代になってから、ゴルフや登山を始め、ブログも再開しました。
その経緯については、「17年ぶりにブログを再開した理由|50代からもう一度挑戦する」で書いています。
妻を忘れるためではありません。
妻との記憶を抱えながら、自分の人生も大切に生きるためです。
前を向くことは、妻を忘れることではありません。
妻が守ってくれた家族を大切にし、妻が生きられなかった時間も含めて、自分の人生を生きていく。
お金を貯めることも大切ですが、使える時間には限りがあります。
妻を亡くした経験から、私はそのことを以前より強く意識するようになりました。
この経験が、今の働き方や残りの時間を考えるきっかけにもなっています。
「収入に不満はない。それでも会社を辞めたい理由」では、なぜ今、会社を辞めたいと考えているのかを書いています。


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